免疫講座in宮崎
2013年3月9日(土)
免疫講座
テーマ:「心の免疫」
講師:日本橋清洲クリニック院長 佐藤義之ドクター
@ふぁみりーランドK川崎
宮崎県宮崎市太田4-4-16
0985-58-3363
唯識を学ぶ
身体の免疫だけでは、病気が収まらない
心の免疫が必要である
人間にはいくつかの転機があり、自分は山田法胤管主の
個々の免疫には、学会や研究会もない
・心はどこにあるのか
一つの事柄についても、人それぞれ感じ方や考え方や違う、心を学ぶ学問として唯識学がある。
唯識学は、お釈迦様が玄奘三蔵法師に伝え、その後、遣唐使の道昭が653年に日本にもちこんだものである。
唯識学は唯一識(こころ)が大事であると説いている。
その中で識(こころ)は長い年月をかけて、自分たちの中に溜まっていったものでつくられているとしており、30年生きた人は30年分、50年生きた人には50年分のものが積み重なっている。
通常、ものを見たり、聴いたりすることでこころが動くとされているが、唯識学では、識(こころ)が立ち上がっていないと何も見えないと説いている。
そして心を立てて、色々なものが見えた時にも、それをどう認識するかはその人の識(こころ)次第である。
眼や耳などで感じる前に識(こころ)がある。
「定年の目に新たなり草紅葉」
毎日通勤で駅まで歩いている時は、何も目につかなかったものが、定年を迎えてもう一度その道を通った時には、今まで見えなかったものが見えるという、こころが立ち上がった状態を表した詩である。
「大名を馬から降ろす桜かな」
「死に支度、致せ致せと桜かな」
小林一茶の詩で、大名を馬から降ろすほど美しい桜がある一方で、自分の晩年に詠んだ詩では、早く散ってしまう桜が死を急かしているように感じたという識(こころ)のあり様で同じものを見ても感じ方が違ってくるということを表している。
良く受け取るも、悪く受け取るも受け取る人の気持ち次第、心次第であり、その人の経験、気分、教養で大きく変わる。
・無尽蔵
無尽蔵という言葉は、ものがたくさんあるという意味合いで使われるが、本来はこころの中にある蔵のことを無尽蔵と言う。
これは掃除機のように見たもの、聞いたもの、触れたものが何でも入ってくる蔵であり、
自分が入れよう、入れないという意志とは関係なく、全てが入ってくる。
そのため、物事を判断、解釈、行動したりするときにその根拠となるものが無尽蔵に入っているもので決まってくる。
ある人は、無尽蔵を心の辞書と呼んでおり、良いものを見て、良いものを聞いていると、人生の中での様々な選択の際に良い手助けのなるのである。
お釈迦様は紀元前500年に、五感を大事にしなさいということ言っており、五感が研ぎ澄まされるのは2歳までにかかっていると説いた。
・五受
心が立ち上がって五感が働いていると、5つの感情が働き、これを五受と言う。
憂、喜、苦、楽、捨
この中で最も重要なのが、「捨」であり、先の4つの感情を捨てることを示している。
感情を抑え、捨てて静かに物事を見る。受け止める心がつくられるとしている。
憂う(心配する、不安になる)ということは決して悪いことではなく、憂いを知っている人は「優しく」なれる。
今の憂いを上手に受け止め、無尽蔵の中のものでそれを乗り越えるということが心の免疫となる。
●第1回 『ガンにならない生き方』
●第2回 『ガンにならない生き方』
●佐藤先生を囲んでの座談会