玉川温泉 佐藤ドクターが慰問をお始めになったきっかけ
佐藤義之ドクターによる「免疫講座」
2011.8.20.(土)~21.(日)
@玉川温泉 湯治館 そよ風
今回の慰問で2年2ヶ月が経過したそうです
毎月1回ということですから
26回目?ということでしょうか!
改めて先生にこの慰問をお始めになった経緯(いきさつ)をお伺いしました
今から7年ほど前、胃の末期ガンで見放されたある女性がこの玉川温泉ですっかりガンが完治されました
驚いたのは、ご主人です
精神科のドクターだそうで、定期的な奥さんのケアに同行するようになりました
頻繁に玉川に通うようになり、まわりの湯治客にもドクターと知れることとなり
いつしか個別相談会が始まるようになりました
それを楽しみにする湯治客も増えてきました
ところがそのドクターが事情で来れなくなると
湯治館の方に湯治客から頻繁に問い合わせが入る様になりました
とても残念がる人がたくさんいたということです
元々この湯治館 そよ風は、埼玉県の医療法人が経営しているそうで
その話を聞きつけた経営母体の方でも近場の秋田のドクターで誰か代わりをしてくれないかといろいろ打診をしたそうです
あるドクターは、引き受けてもいいが、1回15万円の講演料が欲しいと言われたそうです
ボランティアで探していたわけですからそう簡単に見つかるはずもありません
人から人へとこの話が伝わり、なんと約5年かかって佐藤義之ドクターの耳に入ったわけです!
もちろん当然、無給、無報酬・・・ということで
東京から秋田までの交通費、宿泊代、食事代、すべて佐藤先生のご負担です
よほどの物好きか、ボランティア精神がなければ一般のドクターには、素通りしてしまうお話しです
断ち切れになって5年間、この話を聞いたドクターは数知れずいたはずです
でも実現はしませんでした
佐藤先生は、発想が違うのです
ご両親は、広島の原爆を1キロ圏内で被爆されてお二人とも発ガン
今回、初めてお伺いしましたが
本当は、先生にはお兄さんがいたそうですが生まれて3日目で亡くなられたそうです
妹さんも発ガン
祖父、祖母も発ガン
ガン家系です
※先生も被爆者2世ということで被爆者手帳をお持ちです。
先生自身も未熟児でお生まれになり、先天的に片方の大腿骨が未発達のままお生まれになり
車イス生活が続き、小学校も半分しか行けず、過去4回も足の手術をお受けになっています
つい最近は、昭和医大で人工関節を入れる大手術もされています
先生には、生い立ちから自分もガンになるのでは?という不安が絶えずあります
かつて末期の卵巣ガンの患者さんを担当された時、あるサプリメントですっかり完治されたのを目の当たりにされ
人間の持つ生命力、免疫力のすごさに感動され、独自に免疫の研究をされてきた先生です
この先生の経歴が、慰問のきっかけになったことは想像に難しくありません
わたしは、これは必然だったんだな~と感じています
医者に見放され、かすかな望みを託して集う湯治客を前にして、
この大役を二つ返事で受けれる人が、日本広しといえど、いったいどのくらいいるでしょうか?
今回の慰問にご一緒させていただき、先生が何度も口にされた言葉・・・それは、
「いや~、私の方が皆さんから励みをもらっているのよ~。
だって本当に末期ガンが治った人に何人も直接会って話しが聞けるわけじゃない!?
温泉にもつかれて、毎月ここで充電させてもらってまた東京戻って元気に働けるんだから、
ありがたいもんだよ!」
仏のような先生です
湯治館から帰宅する人たちに再会の約束をし、玄関で見送る先生、
この湯治館のしきたりとは言え、それを楽しみしている佐藤先生
バスが見えなくなるまで残ったみんなと一緒に手を振っている先生
人に対する優しさが溢れかえっている先生です
こんなドクターがもっともっと増えれば、日本の医療も変わるのにな~
先に病気ありき、から、予防医療に!
●第1回 『ガンにならない生き方』
●第2回 『ガンにならない生き方』
●佐藤先生を囲んでの座談会