昭和34年10月4日生まれ 50回目の誕生日
平成21年10月4日 50回目の誕生日
いつもの誕生日と大きく違うことが一つだけ
それは、生まれて初めて母親のいない誕生日です
自分の誕生日は、自分を生んでくれた母親に感謝をする日です
初めて複雑な想いの誕生日を迎えました
でも今は少しも悲しいとは思いません
なぜなら、自分自身、平均寿命まで生きれたとしてもあと30年くらいの話しですから
またすぐ同じ世界で会うことができます
悲しんでる暇もありません
お勤めが終わって再会したときに現世でどれだけ頑張りお役に立てたのか
しっかり胸張って母親に報告できるようにしておかなければなりません
ただ、まだ母親が亡くなって一年経ちませんが、母親のことを毎日思い出しますし、
最初のうちは、自分はいったい何のために頑張っているのだろうと自問自答しました
私は、よく働く方だと思いますが母親が亡くなって初めて強烈に自覚したことがあります
それは、頑張る自分の原動力の半分以上が母親のためだったんだということです
(きっと心のどこかで母親に褒めてもらいたいのです その時の母親の喜ぶ顔を見ることが、自分にとって、この世で一番 幸せな時であるに違いありません)
母親をもっと楽させて、喜ばせていつかきっと2人きりで感謝の想いを込めて
豪華客船にのって世界一周の旅に連れて行くのが夢でした
ですから亡くなったときは、心に大きな穴がぼっかり空いた状態でした
その日が来るまでいつまでも長生きしてくれると信じていましたから
まったく疑っていませんでした
ですから早く成功が来てしまえば、夢が早く叶い逆に母親は、早く天に召されてしまうとさえ考えていました
だから、この成長のスピードはちょうど良いスピードだと思っていました
成功が後半にあればその分、大好きな母親は長生きできると勝手に思っていました
その日が来るまでぜったいに長生きしてくれると思っていました
今から20年前に母親が買った自分のお墓を掃除のために何度も車で連れてってくれと頼まれましたが、それだけはかたくなに断ってきました
なぜなら、長男の私が連れて行けば、なんとなく母親の死ぬ準備を手伝うような気になり、それがきっかけで交通事故にあったり、大病を患ったりしそうな気がしていました
いつもどんな時でも信じて味方になってくれたおふくろ
心配ばかりかけたおふくろ
もう少し早咲きであれば間に合ったのに
後悔ばかり残ります
人の世の常とは言いますが、自分だけは例外であってほしかったです
お母さんへ、
残り精一杯、頑張らせてもらえばそちらに行った時は少しはゆっくりさせてもらえると思います
その時は、腕がちぎれるまで肩もんであげるね... 歳哲
抗がん剤治療で日に日に衰えていく母と
お母様とのお話。
中込社長の想いの深さが伝わってくるブログに感動しました。
お母様にとってきっとご自慢の息子さんだったんだと思います。
ここまで愛情深くお育ちになられましたのは、お母様の愛情がとても深くてらっしゃったのでしょうね?
心の奥までしみこんでくるような温かなブログ、ありがとうございました。
どうかお体お大事になさってくださいませ。
お母様がご心配されませんように・・・。
先生、いつもありがとうございます 生きてるうちは、4人兄弟でも一番心配と苦労ばかりかけていました ろくな親孝行ができませんでした 吉野先生のようなすてきな方に母親のことを知っていただいて母親もすごく喜んでいると思います ブログはそんな母親に対する罪滅ぼしで書かせてもらってます ありがとうございました